0◆ No.21〜No.30




No.21  ツケ
No.22  三叉路
No.23  悲しいコール
No.24  濡れた少年
No.25  病院跡地
No.26  襖を開ける手
No.27  キャンプ場
No.28  ナースコール
No.29  イ・ッ・タ・ラ…
No.30  車椅子


■■■No.11〜No.20

No.31〜No.40■■■

◆ No.21
◆ ツケ
怖い話が好きな私は何度となく霊が出るという噂の場所に足を運んだりしていました。
私は特に霊感があるという訳では無いのですが、何か直感的なものを感じカメラのシャッターを押すと高い確率で心霊写真を撮影する事が出来たと言うことも、そういった場所へ足を運ばせる切っ掛けともなっていました。
しかし5年程前、好奇心でそういった場所へ遊びに出かけていたツケがついに私達にまわってきてしまったのです。
それは、山形県上山市にある「滝不動」と言う地元の人でも大変に恐れられてる有名な心霊スポットでの事でした。
夜中の十二時から一時ぐらいの間だったと思います。友人達と私の三人は車で問題の場所の入り口から入って滝不動を目指しました。しかしなぜか目的の場所になかなかたどり着くことが出来なかったのです。
半ばあきらめかけた時それは突然に目の前に現れました。
目印の鳥居があったのです…。
やっと、目的地に着いた…。しかし私達はその異様な雰囲気におののき、思わず目をそむけていました。
とりあえず鳥居のそばに車を駐車し、カメラと懐中電灯持って鳥居くぐり、名指す「滝」へと歩いて行きました。季節は八月の後半でしたが、回りの空気はひんやりと冷たく、重苦しい感じがしました。明らかに他とは空気の質が違うのです。
「いつものような感じじゃねえぞ…」
一人がぼそっとつぶやきました。

ドドドドドドドドドドドドド………
やがて滝の音のようなものが聞こえてきました。
目の前には何かを祀った社があり、私はその社にただならぬ何かを感じていました。
「ここだ!ここで撮れ!いるから」
私はカメラを持った友人に声をかけていました。

パシャ!パシャ!…
友人のシャッターを切る音が辺りに響きました。
パシャ!パシャ!…
友人の側に立つ私の右手が突然痺れ出しました。
「まずい!!」
そう感じた私は、友人達に声をかけ急いでその場を立ち去る事にしました…

翌日私たちは、昨夜滝で撮った写真の現像をしました。
やはり写っていました。
丸い球体が一面に浮いていたのです。
実際に現場にいた時はそんな物誰も見てはいないのに…。
その日の夜。
私たち三人は同時に原因不明の高熱を出し寝込んでしまったのです。
死ぬほど苦しい高熱で寝込み、ようやく起きあがれるようになったのは、3日後の事でした。
同行した友人二人と共にこんな目に遭うとは…これは、滝不動にいる何者かの警告なのだと理解せざるおえない出来事でした。
その時以来なのでしょうか、私は何かと病弱な体質になったような気がするのです。

決して、面しろ半分で軽率な行動をとったりするのは止めたほうがいいと思います。
何故なら、警告はひとつだけは無かったです。
同行した私の友人の首には刃物で切り付けられたよう痕があったのです。
そして私の右手首にも………。

◆ No.22
◆ 三叉路
横浜の鶴見区のとある場所でのことです。
当時私は何度か友人を家まで車で送る事がありました。

その友人の家は、山のような小高い場所に建っているマンションに住んでいました。
途中道筋には大きな石のある三叉路があり、その左側の道を登ってゆくのです。
ある日、いつものように、友人を家まで送り届ける為、三叉路へ車が差し掛かった時でした。
…ドン!
車が、何かにぶつかったような感じを受けた為、私は車が三叉路のその大きな石にぶつかったのではと思い、慌てて車を降りました。
車の周りをぐるりと周り車の傷を確認しましたが、何処にも異常はありません。車の中の友人のこともあり、気のせいだと思いそのまま車に戻り友人宅まで向かいました。
無事、友人を降ろし、来た道を引き返すことになりました。車はさっきの三叉路へ再び差し掛かりました。
「あれ…?」
いつしか車は左側の、来た道とは違う道に曲がっていました。
当然家へ帰る道とは方向が違う上に、今まで走った事のない道を山に向かって走っていました。
私は慌てて車をUターンさせましたが、かなり走っていたのか、行けども行けどもあの三叉路へ出る事が出来ませんでした。
時計は既に夜中の1時半を過ぎていました。辺りに街頭はなく車のライトと月明かりだけが辺りと車内を照らしていました。次第にムシムシとした湿気と、異臭が車の中に漂ってきます。
奇妙な胸騒ぎがした私は車を止め、臭いの元を確かめようとしました。
道の脇に車を止めて、何気なくバックミラーを覗くと…、
「!!」
誰もいないはずの後部シートに中年の男女がじっと身動きもせず、鋭い目つきで私を睨みながら座っていたのです。
とたんに、体が動かなくなりました。
なんとかバックミラーから視線をそらした直後、今度は隣のサイドシートから更に強い圧迫感を感じたのです。恐る恐る視線をサイドシートに向けるとそこには、小さな女の子が座っていて上目使いで私を睨んでいるのが目に入ったのです。
ぎゅぅぅぅぅぅぅぅっつ!
後部座席の男女が体を運転席に寄せるようにして、私の首を絞めつけてきました。
ぎゅぅぅぅぅぅぅぅっつ!
次第に息が苦しくなってゆく私は、状況が把握できないまま気が遠くなってゆきました。
「…ご、ごめん、何もしてあげられない…私には何もしてあげられないから…」
いつしか私は、そう呟いていました。

どの位の時間が過ぎたでしょうか…。
すぅーっと体が楽になったかと思うと、体の自由が戻ってきました。そして車内を見渡しますが、既にさっきの男女と少女の姿は消えていました。
私は慌ててアクセルを踏み込みその場から立ち去りました。車は程なくいつもの三叉路へ出る事ができ、私は自分の家へと一目散に帰りました。
家に帰ると、私の首にはさっきの男女に絞められた手の痕痕がついていました。
後日、私はこの出来事を友人に話しました。それを聞いた友人は私にひとつの事件を話してくれました。
それはずっと以前のこと、その道の先にあった家で、一家が殺害された事件があり、以来この道を通った人から「親子の幽霊が出る」と言われるようになったそうです。

彼等は、成仏できずに居るのでしょうか。

◆ No.23
◆ 悲しいコール
ちょうどポケベルからPHS、携帯が流行りだした頃の話です。
僕には彼女がいました。何も話さなくても一緒にいるだけで安らげる存在。お互いが成人し、経済的に安定したら結婚しようなどとも言ってました。
あまり会う時間がなくてもとても幸せで、人を愛する事はこういう事だと初めて知ったような気がしました。しかし、幸せはいつまでも長続きはしないものなのですね・・・。
ある夜、彼女の塾が終わった後に会う約束をしていたのです。
いつもは時間に遅れる事はないのですが、その日は時間になっても来ませんでした。
僕は塾が長引いてるのだろうと思い、ずっと待ってました。
しばらく待っていると僕の電話が鳴ったのです。
その番号は知らない番号でした。僕は誰かな?と思いながら出ました。
そうすると、彼女だったのです。
彼女はずっと、
「ごめんね。ごめんね。ごめんね。」
この言葉だけ繰り返し、僕が気にしないでって言ってもずっと言い続けてました。
電話はすぐに切れてしまい、僕は今日は来れないのかな?と思い、帰ろうとしてたんです。
それからしばらくして友達から電話がありました。
「○○が交通事故で死んじゃった・・・」
泣き声の中からこの言葉だけが聞き取れました・・・。
しばらくは何を言ってるのか分かりませんでした。
・・・認めたくなかっただけなのかもしれません。
「そんな、さっきまで話してたんだから・・・そんなことあるはずない!!」
そう自分に言いきかせてたのも覚えてます。
しかし、どんなに否定しても時間は待ってはくれず、彼女の葬儀が行われました。
もう涙も出ませんでした。何も考えられないし、受け付けられない。
その日、両親から聞かされました。何故、事故になったのか、何時に息を引き取ったのかも。
ここで一つ変なんです!息を引き取った時間は僕と電話してたんです。
確かに番号も残ってる・・・その番号にかけ直してみると「もう使われてません」 と返ってくるだけでした。
僕は泣きながら何度も何度も繰り返しました・・・。
あれから数年、僕は必ず命日にはお墓に行ってます。
あの時の胸の穴は今でもうまってはいません。たぶん、これからも・・・。
何人かと付き合ったりもしました。けど、やはりダメなんです。
今でも目をつぶればハッキリと見える。荒れていた僕が優しくなれ、思いやることを教えてくれた彼女。僕を見てくれていた彼女。理解しようとしてくれた彼女。
これから人を好きになることがあるのでしょうか・・・

◆ No.24
◆ 濡れた少年
もう15年も前、伊豆でのことです。
A家(A夫妻、子1人)、B家(B夫妻、子2人)、そして私を含め8名が体験した話です。
A、B、私は昔のバンド仲間で、当時私だけが未婚でした。
ある年の夏私たちは伊豆へ車2台に分乗しAさんの別荘へバンドの練習(お遊びですが)へ出かけました。このときは楽しい夏の休暇になるはずでした。
たしかお盆前だったと記憶しています。言い出したのはAさんでした。
「今度、俺の親父が持っている別荘で久々に練習するか。海は子供も喜ぶし。」
私は身分的に乗る気ではなかったのですが、強く勧められB夫妻の子守り兼で引き受けることになりました。
A家B家で車を出し、私はB家の車に乗る形で伊豆へと出発しました。
朝の出発で遅くとも夕方には別荘に着く予定でした。
伊豆へ行ったことがある方ならご存知かと思いますが、夏の伊豆路は大変混み渋滞に泣かされます。そのことを考慮に入れての行程でしたが修善寺を過ぎた頃はもうお昼を回っていました。
そして雲行きも段々と悪くなりだし、予定は大きくずれ込みそうになっていました。
すると、前を行くAさんの車が路肩に停車し、Aさんが車から降りて苦笑しながらこちらの車へやってきました。
「たまらんな〜この渋滞。裏道で行きたいけどイマイチ道を覚えていないんだ。もしかすると迷うかもしれないけどいいかな〜?」
「走っているほうが気分的にいいから、行ってみるか」
同じ苛立ちを感じていたBさんは即座に答えました。
「それじゃっ!」
Bさんの同意に少し機嫌を良くしたAさんは、小走りで自分の車に戻っていきました。
Bさんの車は1ボックスカーで前にBさんと奥さん。後ろの座席には私と子供たちが乗っていましたが、長い渋滞で子供たちも寝てしまった為、私は助手席に移り、奥さんは子供たちと少し寝ることになりました。
前を行くAさんの車は、少し行くと右にウインカーを出し細い道へと入って行きました。
私たちの車も後に続きました。辺りの景色が山になったり、田んぼになったりと確かに「裏道」を進んでいました。時には舗装されていないあぜ道の様なところを走ったりしました。
裏道を走り初めて40分ほど経った頃だったと思います。
割と新しい道で左側が山で右側に少し広い歩道のある、緩い左カーブの道へと車が出ました。
Aさんの車が何かを見つけたのか、カーブ途中で停車しました。
気づくとAさんの車の右側歩道に小さな男の子が両足を抱え座っています。
私の乗る車も、Aさんの車に近づいてゆきました。
「???」
その子は全身水浸しで頭からズボンまでずぶ濡れでした。
辺りは雨が降った様子もありません。
「かわいそうに、誰かにいじめられたかな?」
私は直感的にそう考えました。
「おかしいな・・この子・・・」
その時私の目には、この子の肌が青白く、というより肌が透けているように見えました。
Aさんの奥さんが車の窓越しになにやら話しかけています。
「どうしたの?ボク。早くお家に帰りなさい。」
私も男の子にそう話しかけました。
しかし、その子は膝に顔を押し付け下を向いたまま少しも動きません。
「お家は何処?」
Aさんの奥さんの問いかけに、ようやくその子は右手だけ動かし、うつむいたまま右の方を指差しました。「乗せて送ってあげるからおいで」
と奥さんはやさしく男の子にそう声を掛けました。
しかし男の子は、また右手を下ろし黙ったまま…。
一向にラチの開かない状況が続き、私はBさんと相談して、この子の親に知らせようという結論になりました。彼が指差した前方に見える民家がその子の家だろうと勝手に思っていました。
私はAさんにその旨を知らようと、車を降りました。しかし、なぜだか私はその時、車を降りるのが嫌だと感じていました。
今思えば、私が車を降りるまで何故か誰も車を降りようとはしていなかったのです。
とりあえず、Aさんの車と私達の車は、一端その子をそこに残し走り出しました。
車は直ぐに彼の家と思われる民家に到着しました。農家のような家でした。
Aさん、Bさん、私の3人は玄関のインターホンを鳴らしました。
「はい。」
暫くするとドア越しに返事が聞こえました。
「失礼ですが、5歳ぐらいの男の子がお宅にいらっしゃいますか?」
Aさんが訪ねました。
「いません」
ドア越しにそう返事が帰ってきました。すかさずAさんが言いました。
「?…先ほどこの先のカーブで男の子を観ましたので、もしかするとと思ったのですが…」
「え?」
玄関のカギを開ける音と共に中からは、30代後半と思われる女性が出てきました。
女性は、玄関の下駄箱の上にあったハンドバック取ると、中から写真を取り出しました。
彼女は写真を私たちに差し出しながら、か細い声で
「この子でしょうか?」
と訪ねてきました。
それを見たAさんは一言
「はい、この子です。」
と、答えました。Aさんは今見た男の子の様子を彼女に伝えました。
「そうですか…。」
彼女は、Aさんの返事を聞くとこう語り出しました。
「この写真の子は私の子なんです。2年ほど前にそこのカーブで車に引かれ亡くなりました。自転車ごと跳ね飛ばされ、道の脇の小川に落とされました…当時5歳でしたが、大変元気な子でした。」
「…じゃぁ、あの子は…?。」
「はい。皆さんが出会った子は私の子かもしれません、ここら辺にそのくらい年頃の子供は居ませんから…。」
彼女は私たちに涙ながらにそう話してくれました。
話を聞いた後、奥さんと一緒に元の場所に戻ってみましたが、子供の姿はありませんでした。

◆ No.25
◆ 病院跡地
ある日、大学の先輩に誘われて肝試しをする事になりました。
私の友人3人と先輩とその彼女、5人で心霊スポットで有名な某総合病院跡地に行くという事でした・・・。
私は遊び半分でそういう所に行くのがキケンなのは承知していましたが、私よりも霊体験豊富な友達が一緒だったので、まあなんとかなるだろうと軽い気持ちで参加しました。
行きの車の中でうとうとした私が、目を覚まして時計を見たのが午前3時を過ぎた頃でした。
その時既に、周りは怖い話で盛り上がっていました。
「早く帰って眠りたいな・・・」
そう思ったときに車は止まりました。
「着いた。」
先輩が言うと同時に、一斉にみな車から降りました。
私も続いて車から降りて皆に付いて行きました。
・・・しかし、やはり病院の入口まで来ると、そのあきらかに異様な雰囲気に私は足が竦み、怖くて入る事が出来きません。
その時先輩が、躊躇している私たちに、
「俺があそこの窓から顔を出してやるよ」
と、ひとつの窓を指さし、一人で病院の中へと入っていきました。
先輩が指差した窓は、3階辺りの階段の踊り場にある小さな窓でした。
私は友達に「ここってヤバイよね。」と耳打ちしました。
友達も「確かに、今はいるのはヤバイな。止めた方がいい。」と言っていました。

私達は、先輩を止めようと声をかけましたが、先輩は
「大丈夫、大丈夫。」と軽く手を振って中へ入っていきました。
…5分もたたないうちに、その窓から私たちに手を振る姿が見ました。
「あっ、先輩だ。ちゃんと行ったんだ・・・」
と、私はさっきまでの恐怖が、何も起こらなかった事に安堵しました。
そのうち、先輩が1階の出口から姿を見せました。私は、帰ってきた先輩に怖くなかったのか、話を聞いてみました。
すると、先輩は
「実は、病院に入ってすぐに怖くなり、上まで行かずに引き返してきたんだ・・・。」
と言うのです。
「先輩は3階には行ってない?。じゃあ、私達が見たのは?」
そう思った瞬間、背中に幾つのも突き刺すような視線を感じたので振り返りました。
見えたんです・・・私には・・。
病院の窓という窓から私達に向かって一斉に手を振る人の姿が・・・。

◆ No.26
◆ 襖を開ける手
あれは、まだ私が小学校6年生の時でした。
私たちの間で秘密基地作りというものが流行りました。
そのころ、私の友達の家の近くに使われていない小さな旅館がありました。
私たち遊び仲間5人は、そこに基地を作ろうという話になり、早速旅館のドアが開いているか調べに行きました。
幾ら長く使われていないとはいえドアは開いていなかったのですが、なぜかお風呂場の扉が開いていました。
「ラッキー」
私たち5人は中へと入り、階段を上がって2階でしばらくくつろいでいました。
午後5時を回るころ、日も落ちて辺りは薄暗くなっていました。
突然、W君が、「怖い話をしよう」と言いだしました。
「やろうやろう!」
私たちは1階の小部屋へ移動し、怖い話を始めました。しばらくして、
「おれ帰る!」
T君が言い出しました。
まあ、暗くなってきたし、しょうがないかということで、みんなでT君を入ってきたお風呂場まで送りました。
T君を見送り、続きをしようと小部屋へ戻ろうと廊下を歩いている時でした。
一番後ろを歩いている私の後ろを何かがついてくる気がしました。
コツ・コツ・コツ
「待って! 誰かついてくる!」
みんなに声を掛けました。
「誰もいねーよ。」
友達は言ってまた、歩きだそうとしました。釈然としない私でしたが、彼等を追って歩き出そうとしました。
ガタン!
「わっ!!」
閉まっていたはずの襖が私の方に倒れてきました。
「なんで!?」
私は倒れてきた襖をはらいのけました。
スーッ…パタン!-------スーッ…パタン!-------。
襖の外れたその部屋から、何か音がします。
スーッ…パタン!-------スーッ…パタン!-------。
それは何かを開け閉めしている音でした。
みんなその音に、惹かれるように一斉に部屋の中を覗き込みました。
スーッ…パタン!-------スーッ…パタン!-------。
押入れの襖が開いたり閉まったりしていました。
「えっ?」
みんな目の前で何が起きているのかすぐに状況がつかめません。
そのうち、開いたり閉まったりする押入れの中に襖を掴んでいる手が見えました。
青白く透き通るような手でした。
スーッ…パタン!-------スーッ…パタン!-------。
その手は押入の中から、何度も何度も開け閉めを繰り返していました。
私たちは、その光景に声も出せずに顔を見合わせていました…。
「わあっ!!!!」
ひとりが叫んだと同時に私たちはお風呂場の扉まで一直線で走出しました…。
「なんで手が…」
「どうしてあそこにいるんだよ…」
外へ逃げ出した私たちは今見た光景について興奮しながら、話していました
「お、女だったよな!」
「あ、あぁ…」
「何で、女の人が…」
いつしか、私たちはあの手の持ち主について、「女」だったと話していました。私たちが見たのは手だけ、しかも少しの間だけだったのに「女」の手と全員が確信していたのです。
なぜだったのか…。

あれからかなり経ち、その旅館のあった場所も空き地になっています。
しかし、そこは今でもとても空気が重い感じがするのです。
かすかな記憶ですが、その旅館の外に井戸があり、その井戸の内側にはお札のようなものが貼ってあったのを覚えています…。

◆ No.27
◆ キャンプ場
小学校4年の時の事でした。
私は、地区の子供会行事のキャンプに参加しました。
部屋は、女の人達はロッジで、お母さん達は3つあるコテージの真中のコテージ。
男は、一番左端のコテージに泊まることになりました。
部屋は2部屋あり、私と同じ学年の子はベッドのある部屋で、中学生の男の子達は座敷で寝ることにしました。
わいわいと楽しく遊んでいると、いつしか時間は夜中の12時になっていました。
みんな、もう寝ようと言うことになり、私達は自分の部屋で布団に入り電気を消しました。
ギギーーーーー    バタン!!
窓の方で音がしました。
最初は、風の音かと思ってました。
しかし、何回も何回も音は繰り返し続きます。
私たち2人は怖くなり、年上の人達のいる座敷に移り、みんなで寝ることにしました。
キィ…… パタン!
安心して寝ようとしたところ、さっきまでいた部屋のドアが開き閉まる音がしました。
…ギギッ…
続いて、台所にある椅子が音をたてました。
…トン…トン…トン…トン…トン…トン…トン…トン…
何かが階段を登る音がします。
ガチャ、ガチャガチャ、ガチャッ!…
突然、コテージのドアを何かが開けようとノブを回す音がしました。
私たちは、怖くて布団にもぐりました。
「ねぇっ!凄い早口で女の人が喋ってるっ!」
私が隣に寝ている同じ学年の子に言いました。
でも、彼もも他の人達にもその声は聞こえませんでした。
その話し声は暫く、たぶん2,3分だと思うのですが、続いていました。しかし、何を言っているのかはまったく解りませんでした。

それから、私は勇気を出してテレビの所までいきテレビをつけました。
朝まで、私は眠ることができずテレビの前で起きていました。
翌朝、私は他の人に
「昨日の夜中、僕達のコテージに来てドアを開けようとした?」
と聞きましたが、みんな誰もそんなことしてないと口を揃えて言います。
そのとき、お母さんの1人がポツリと言いました。
「ここは、お墓を壊して作られた所らしいから、もしかしたら…」

◆ No.28
◆ ナースコール
私は産婦人科へ配属されました。
産婦人科ですから人の死は少ないと思われるかもしれません。
ですが、婦人科の病気で死を迎える人も少なくないのです。
病院ですから当然の事ですが、まさか自分が体験するとは思いませんでした。
子宮ガンで末期の人が入院していた事がありました。
これ自体は不思議でもなんでもありません。
この方は腫瘍の圧迫と疼痛とでトイレにつきそう必要があったのですが、古い病棟だったので、その人がいた個室から一番近いトイレはシャワー室の横のトイレしかありませんでした。
こういっては何ですがナースコールはかなり頻繁で、しかも精神的にも薬を内服しているような方でしたので、用も長く、終わるまでトイレの前で待っていると、夜中などは人手がとられてしまします。
トイレまで、お連れした後は私達は一旦詰め所へ戻り、彼女にはトイレの中の緊急ナースコールで用が終わったことを知らせてもらってから、迎えに行くようにしていました。
最後は体力も低下し、トイレにもいけない状態になり、親族に見守られて静かに息を引き取られました。
その方が亡くなって間もないある夜勤のこと。
その日は先輩がベビー室勤務、私と助産婦さんとが外まわりという組み合わせでした。
明日の検査の準備をしているとトイレからナースコールが鳴りました。
気分が悪くなった患者さんが鳴らす事もあるので私はすぐにランプを確認しました。
場所は、シャワー室でした。
よほどトイレが込んでいなければあまり使われないのですが、たまたま洗浄機つきのトイレが使用中のため、わざわざそこまで行って気分でも悪くなった患者さんかもしれません。
私は懐中電灯片手に急いで駆けつけました。
が、誰もいないのです。
今では取り壊されていますが30年以上前に建てられた病棟です。
その時はきっと故障だろうと思い、詰め所に戻りました。
……するとまた鳴ります。
「本格的に故障だわ」
と、思いつつも、一応そこへ安全確認に行きました。
やはり誰もいません。
ただ、なにか生臭いようななんともいえない、しかし覚えのある臭いがしました。
その後仮眠に入ってから戻ってくると先輩たちがなにやら話し込んでいました。
「あのね、トイレのナースコール変じゃない?」
私が仮眠に入っていた間も何度も鳴っていたというのです。
「それにね……なんか、死臭がするんだよね。
ホラ、末期の人って腫瘍から悪臭のするおりものが出てさ、独特の死臭がするじゃない?」
その言葉に3人とも黙り込みました。
…あの人に違いない。
毎日頻繁にそのトイレを利用していた前述の患者さんはやはり「死臭」を漂わせていたのです。
しばらくの間病棟内ではその話が囁かれていましたが、やがてナースコールも鳴らなくなり、その病棟も今年取り壊されました。
なぜ彼女は亡くなってからも、トイレにこもっていないといけなかったのでしょうか?
なんだか気の毒に思えて、私は彼女の冥福を祈りました。

◆ No.29
◆ イ・ッ・タ・ラ…
ある日、私の家にA子が遊びに来ていました。
彼女の家の2階の部屋で、しばらく遊んでいましたが、そのうち夜の11時も廻り、A子はそろそろ帰ると言い、部屋から出て行きました。
その時、私は嫌な予感が走りました。
その日A子は、原付で遊びに来ていました。
「もしかしたら事故ってしもうかも…」
私は彼女に注意を促そうと、2階の部屋の窓から顔を出して、A子が出てくるのを待っていました。
A子は玄関から出てくるなり、すぐに原付にまたいで道路に出行こうとしました。
「!」
その時、私の眼には、A子のバイクの後ろに、老婆が乗っているのが見えました。
その老婆はひとめでこの世の者では無いと判りました。
「やばい!」
私は慌てて、A子を止めようと声をかけようとしたその瞬間!
私の方を、くるりと老婆が振り向き彼女に向かって、
「言・ッ・タ・ラ・コ・ロ・ス!」
そう叫けびました。
(そんな事言われたら…)
…A子のバイクはそのまま走り去って行きました。
案の定、A子の乗ったバイクは、その帰りに事故に遭いました。
幸い、命には別状はありませんでしたが…。

◆ No.30
◆ 車椅子
彼が小学校4年生のころ、自転車に乗っているとき交通事故に遭いました。
直ぐさま彼は市内の病院へと運ばれました。
辛うじて一命は取り留めたものの、両足を複雑骨折、内臓損傷など大怪我を負いました。
彼は、そのまま入院することとなりました。
入院して、数日が過ぎた頃の話です。病室で彼は病室で眠りにつこうとしていました。
一時の様態からは立ち直った彼ですが、両足は動かず、未だ点滴などでベットからは起きられる状態ではありませんでした。
うつらうつらとしている彼の耳元で、付き添いで来ていた母親が
「ポカリスエット買ってくるね。」
と言ってベットの周りにあるカーテンを締めて出ていきました。
…しばらくして彼は人の気配を感じ目を覚ましました。
「お母さんが帰ってきたんだな」と、彼は目を閉じたままそう思いました。
しかし、いつまで経ってもベットの周りのカーテンを開けて母親が入ってくる気配がありません。
彼は、うっすらと眼を開けました。
テレビの台の上にはポカリスエットが置かれていました。
「あれ?」
と思ったその瞬間、ベットの周りのカーテンがいっせいにバサっと開きました。
彼は恐怖に襲われ思わず眼をぎゅっと閉じました。
どれだけ、長い時間目を閉じていたのでしょう…一瞬のことだったのかもしれません。
彼は、ふたたび眼を開けました。
「!」
その目の前には頭に激しい怪我を負った女の人の顔がありました。
女は寝ている彼の真上に平行に浮いていました。
髪の毛も垂れ下がってない、流れている血も落ちてこない、動きの無い写真のように…
緑色の顔色で彼を見つめていました。
彼は恐怖のあまり気を失いました…。
気がついたとき彼は車椅子に乗っていました。
車椅子は、誰かに押されているのか、ゆっくりと廊下を進んでいました。
彼は、咄嗟に振り向こうとしましたが、全身に痛みが走り身動きが取れません。
何に押されているのか、分からないまま車椅子ゆっくりと廊下進んでいきます。
そのうち廊下の鏡の前を車椅子が通り過ぎました。
鏡には先ほどの女が、足を引きずりながらゆっくり車椅子を押している姿がありました。
「う、うわ〜〜〜〜〜っ! 助けてェーーーー!」
と彼は泣き叫びました。
しかし、一向にだれかが助けに来てくれる様子はありません。
そして、車椅子が階段へとさしかかると、女は車椅子を階段から落としました。
「!」
ガタンッ!ガタンッ!ガタンッ!ガタンッ!…
車椅子は音を立てながら、彼を乗せたまま階段の下へと転げ落ちてゆきました。
彼は、再び気を失いました…。
目がさめると、むき出しのコンクリートの壁に囲まれた部屋のベットの上でした。
ひんやりとした、暗い部屋でした。ふと、気づくと彼の横にもベットがあります。
薄暗い中、横のベットを見ると誰かが寝ています。
それは、包帯を巻かれたあの女が横になっていました。
「う、うわ〜〜〜〜〜っ!」
彼は有らんばかりの大声で叫びました。
しばらくすると、その声を聞きつけた白衣を着た医者と思われる人達が駆けつけて来ました。
そして、彼を抱きかかえるとその部屋から、運びだしてくれたそうです。
彼が助け出されたときには、既に翌日になっていました。
当然、家族はひとりでは動けないはずの彼がいなくなったため、警察も呼ばれていました。
「なぜ、あんなところに?」
彼は泣きながら、自分に起こった出来事を話しました。
しかし、結局誰にも信じてもらえませんでした…。
その後、彼は病院を移ることとなりました。
彼が助け出された部屋は、その病院の「霊安室」でした。
そして、例の女性は彼が奇妙な体験をする前の日に、交通事故で亡くなった方だったそうです。
彼女は寂しさのあまり、彼を一緒に連れていこうとしていたのでしょうか。
彼はこの話をしながら、私にこう言いました。
「幽霊は人を殺せる…」と。

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